「オレは人間なんて大ッ嫌いだ。」

それは、彼の常套句だった。

「ペルシアン…今日はどうしたんだい」
「どうしたもこうしたもねぇよ!聞いてくれパシフィック!!」

いつになく不機嫌そうな様子のペルシアンは、私の元へやって来るなりそう叫んだ。 叫ぶ、と言うと多少大袈裟にも聞こえるが、普段は低いトーンで喋る彼からすればその時の声色は叫び声と表現するに値するものだったのだ。

「で、どうしたんだい」
「レッドが人間に惚れやがった」
「ほう、話を聞こうか。」




美女に痣

Red × Geb (瘋癲ロマンチスト)



ペルシアンの話す事の顛末はこうだ。

独りの青年が海を見下ろす断崖に立っていた。 白いターバンと衣装を纏うサウジアラビア人の青年。
それを目撃したのはレッド。 褐色の肌に金髪、ヤコウガイの大きなピアスと真紅の口紅が特徴的な美女である。

どう見ても自ら命を絶とうとしているであろう青年を、彼女は何とか助けようと思った。 しかし彼女に、人間に干渉する力はない。 マミズや私のような大洋であれば自らの意思で可視化し人間に話しかける事も出来るが、彼女には出来ぬことだった。
しかしじっとしていられなかった彼女は海から飛び出し、崖の下で彼を凝視した。

すると、彼女は彼と目が合ったというのだ。
通常、人間は我々の姿を見る事も、会話をすることも出来ない。よって目が合うなんて事は有り得ない。
それでも彼女は目が合ったのだと言ってきかない。
そして遂には彼の方から「あなたはそんな所で何をしているのですか」と問うたと言うのだ。

それが当時の大地所有者である彼、"ゲブ"とレッドの出逢いだった。

レッドは彼から詳しく話を聞いた。 仕事がうまく行かず私生活も荒れ、全てが嫌になり海へ死にに来たのだと。 レッドは彼を説得し何とか死を留まらせた。
までは、良いものの。

「…そいつがよォ、噂じゃすげぇ男前だってんで、レッドが惚れちまった訳。」
「ああ、なるほど。今日もレッドはその彼と?」
「多分な。クソみてぇだろ」

くそなんて言うもんじゃないよ、と窘める私を尻目に、ペルシアンは声を荒げて暴言を吐いていた。 眉間には相変わらず深いしわが刻まれている。よくまあそんなにしわを寄せて疲れないものだな、などと感心しながら私は彼を目で追っていた。

「彼女がいいならいいじゃないか」
「ダメだって!何とかしてくれよパシフィック〜!!」
「うーん…」
「殺すか?」
「それは絶対だめだよ、ペルシアン」

ペルシアンは人間に対してのみ、すぐに、「嫌い」と「殺す」を多用する。
悲しい事だ。私も人間に対して良いイメージは持っていなかったが、それでもペルの場合は多すぎる。 それは散々戦地にさえ開拓に汚染された彼の心中を思えば無理もないのだろうが。


「やっぱり、レッドに言ってくるわ。関わるのやめろって。」


結局彼は、私の注意も聞かずそう言って飛び出し姿を消してしまった。
厄介な事にならなければいいが…という私の不安は、のちに現実のものとなる。

今回の彼『ゲブ』は、私が初めて自ら接触した大地所有者だ。ただ、私が彼に関わった事は私含め三人しか知らない。 特に秘密にしておく理由もないのだが、彼の話は今やタブーであり誰も口には出さない。 それに、誰かに話した所で何も結論は出ない。この話は誰が悪で誰が正しかったかなど、到底分からないのだ。 極論を言えば全員が加害者であり被害者だった。

けれど今、あえて話そうと思う。悲しい運命に消された一人の人間の話を。







私と彼は愛し合っていた。
彼の自殺を止めたあの日から、幾度となく二人で会い、話し、そして手を繋いでキスもした。
海メンバーの皆と過ごす日常もとても楽しいけれど、彼といる時間はすべてが新鮮で心が弾んだ。本当に楽しい。愛しい。


…そう、ただ一点を覗いては。


大地所有者とは、この星の深くに眠っている"アース"という生命体の持つ「土」のエネルギーを魂に宿す人間の事を指す。 その力は代々1人の人間に受け継がれ、力を持つ者のみが私たち海メンバーと関わる事ができる。

そしてもう一つ、大きな特徴があった。
それは、人間が及ぼす大地への影響…すなわち地質汚染のダメージをその体に引き受けるというものだ。 そのダメージは生まれた時から蓄積され、やがて所有者の体に何らかの異常をきたす。これを「大地の作用」と呼んでいる。

私の愛する男は、「大地の作用」により脳を病んでいた。
じわりと彼の中へ沁みてゆくその病は、彼の温厚で少し気の弱い性格をガラリと変えてしまう。


ひとたび彼の癪に触ってえば、暴力。暴力。暴力。
ひたすら私を殴り、蹴り、最終的には馬乗りになって罵倒する。

私は堪らず顔を覆い彼の拳を避けようとするけれど、病は彼に恐ろしいほどの力を与えたようで 暴行中は私の制止も懇願も一蹴されてしまう。 私もメンバーの中では非力な方だけれど、それでも一般の人間に力で劣る事など有り得ない。 それなのに"あの時"の彼は私の抵抗などものともせず暴力を振るい続けるのだ。 彼が正気に戻る頃には、彼の拳に滲む血がどちらのものなのかさえ分からない。

こんな男とは別れてしまえ。

そう決心できたら楽だった。
しかし私をそうさせなかったのは、彼が豹変する原因は病であり彼に罪はないという事。 そして、元の彼に戻った時の、涙を流しながらの謝罪と抱擁。これだった。
彼は悪くない、悪いのは病だ。
今私が彼を見捨てたら、彼は独りぼっちになってしまう。 誰かにこの事を喋ったら彼は責められさらに苦しんでしまう。辛いのは彼も同じなのだ。
彼は私を愛してくれているのに、彼は何も悪くないのに。

彼を捨てる事など出来なかった。

幸い、私たち海メンバーは海水に触れれば全ての怪我を消すことが出来る。 彼の小屋を出た私は誰にも怪我を見られぬよう波打ち際で怪我を消し、そして仲間たちの元へ戻っていた。

けれどそんなある日、全てが壊れるきっかけとなる事が起きる。

いつものようにゲブに暴力を振るわれた後、彼の小屋を後にした私はひとり海へと向かっていた。 私以外の者が彼の小屋に行くことはないので安心しきっていたのだろう。 入り江にて待つカリフォルニアの存在に全く気付かなかったのだ。

私は怪我を見られた事に恐怖したが、それ以上にカリフォルニアは恐怖に震えたようだった。 彼女はボロボロの私を見るなり顔を青くし小さな悲鳴を上げる。 そして私を問いつめた。

「あなた…どうしたのそれ…!?」
「あ、ああ、ちょっと彼とケンカを…」
「嘘!ケンカっていうレベルの傷じゃないでしょう!!何があったの!?」

本当に大丈夫だから、と彼女を説得し、私は傷を消して逃げるようにカリフォルニアの元を後にした。 けれどそれが悪かった。

そう、悪かったのは全て私なのだ。カリフォルニアに非は無い。 私があの時逃げずにきちんと弁解すればあんな事にはならなかった。私が悪いのだ。


彼女は私の怪我の事を誰かに話してしまったようだった。
彼女に悪気はなく、単に私を心配しての事だったのだろう。


その後、何がどうなったか分からない。
けれど確かな事は2つ。

その日を最後に、彼が私の前から消えてしまったという事。
そして、私は彼を救えなかったという事。

私の愛した彼は今どこにいるのか。
私がそれを確かめる術はなかった。





「ねえ……ちょっと相談が、あるのだけれど。」

そう声をかけて来たのはカリフォルニアだった。
いつも優雅に笑っている筈の表情が、今日はどこか影を帯びている。

「どうしたんだい?」
「レッドが大地所有者と付き合っている話は知っているかしら」
「ああ、知っているよ。確かゲブという名だったね」
「…これは秘密よ、パシフィック。レッドが昨晩ね、彼の家から帰って来た時に全身傷だらけで…彼女はちょっとケンカしただけだと 言ったけどどうにもそう思えないの。だって全身よ?本当に強く殴られたような傷が全身にあったの。」
「ケンカは嘘だと?」
「……"ちょっとした"ケンカ、ではない事は確かだわ。」
「……。」
「ねえ、一緒に来てくれないかしら」

それは予想だにしない相談だった。
カリフォルニアはこれからゲブの元へ行き、レッドの怪我の真相を突き止める。 その為にゲブを問いだたすのだが、万が一自分にも暴力を振るってくるかもしれないから私に同伴してほしい、というものだった。

「ねえ、お願い。レッドもきっと彼を気遣って事を大きくしたくないと思うのよ。 だから、彼女にも知られないよう私とあなただけで解決したいの。…お願い。」

その夜、私はカリフォルニアとともにゲブが住む小屋へと向かった。


彼の家は酷く荒れていた。
床には割れた食器やガラスが飛び散り、机の上もよく分からないものでぐしゃぐしゃになっていた。 そして本人はというと、部屋の隅で膝を抱えてひたすら震えているのである。

彼はすべてを教えてくれた。
涙を流しながら、時々嗚咽に負け声が途切れる。赤黒く変色した拳で膝を抱え、しきりにごめんなさいと呟くのだ。 私もカリフォルニアも何も言えなかった。 何故ならば、解決策は何もないからだ。 この病は大地所有者の魂に根差す「土」のエネルギーが原因である。 唯一その病を取り除くことができる者、エネルギーの持ち主である"アース"は未だ眠り続けており、彼女以外に病を絶つ術を持つ者はいない。
じわりじわりと、このまま死を待つのみなのだ。


「ボクは……どうしたらいいのでしょうか…」
「……」
「……」
「もう彼女を傷つけたくないのです。でも、自分で制御できないのです。」


ふと。
我々のものでない影が床を這った。視線を上げるとそこには、1番この事実を知ってはいけないであろう人物がいた。

「ペルシアン…どうしてここに…」
「ふざんけじゃねえぞてめえ。」
「聞いていたのかい?」
「ああ、全部聞いたぜ。コイツがどんでもねえクソ野郎だって事実をな!」

その顔は、今まで見たことないほどの怒りに満ちていた。

「どうして今まで黙ってたんだ?レッドが言わなきゃ誰も気づかないからいいと思ってたのかよ!!あ!!?」
「少しでも悪ぃと思うならすぐに誰かに相談するよな!!今まで黙ってたって事は罪を償う気がなかったって事だろうが!! 何が傷つけたくないだ!!!ふざけんな!!!!」

それは確かに正論だった。
彼はすぐにでも誰かに病を打ち明けるべきだったのだ。 レッドが言わぬ以上、彼の方から全てを打ち明け出来る限りの事をすべきだった。けれど彼は黙っていた。 暴力は仕方ないにせよ、黙っていることは彼の意思であり罪だった。

「消えろ。今すぐオレらの前から消えろ!!!」
「…」
「早くしろよぶっ殺すぞ!!!殺されんのと自分で消えんのどっちがいいんだ!!あ!!?」
「……」

ゲブは震える足で、ゆっくりと小屋を出て行った。
カリフォルニアも私も、後を追う事は出来ない。ペルシアンがそうさせなかったからだ。

「てめぇらもてめぇらだぞ。何でオレに黙ってた」
「ペル、私たちはね…」
「やっぱり人間なんかロクなもんじゃねえ!!ほんとだったら殺してやりてぇぐらいだ!!」
「……」
「…帰ろうぜ。あんなクソ人間の家になんか1秒だって居たくねえ。」

私たちはペルシアンに逆らえなかった。
きつい言葉を止め処なく吐き続ける彼の目に涙を見たからだ。 不甲斐なくも、カリフォルニアより私より、レッドの痛みに共感したのはペルシアンだったのだ。 大好きな姉のような存在の彼女を苦しめた人間。
そして自らも醜い争いや開拓により散々痛めつけられてきた。そんな人間を彼は許すことができなかったのだ。





翌日。彼は小屋に戻らなかった。
その翌日も、その翌々日も。

一方のレッドは、毎日決まった時間に小屋に行きいつまでも彼を待つ。

いつまでも。いつまでも。
ある日の彼女は涙を流していた。ある日の彼女は憤っていた。またある日の彼女は、無心で空を眺めていた。

そうしていつしか、手を差しのべたカリフォルニアに抱きついて、慟哭していた。
彼との関係が終わってしまったと。


「……オレは、間違った事をしたか?」

ペルシアンがそう問うた。いや、正確には自問自答で私に対する問いではなかったようにも思う。 しかし私は、下世話と思いながらもこう返した。

「今回の事は…何か正解で何が間違いなのか分からない。君がどう感じ、どう思うかによると思うよ。」
「なら、オレは正しかった。」
「ペル…」
「オレは人間なんて大ッ嫌いだ。」

そう吐き捨て、ペルシアンはレッド達の元へ歩いていく。
悲しい常套句だ。

私は彼を追いかける事も出来ず、ただただペルシアンの背中を眺める他ない。

あの大地所有者は消えた。
一人の美女と少年の心に、癒えることない傷を残して。


*

2015/12/15. 美女に痣

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