「何してんだよ、お嬢ちゃん」

ふと、聞き覚えのない声が背中に届いた。どうやらアタシに宛てられたものらしいが、それは有り得ない事である。 私を認識できるのは海メンバーと動物たちのみ。人語を喋る…いわゆる"人間"にはアタシたちを見ることなんて出来ない。 だから必然的に、アタシに声をかける者は限られるため"聞き覚えのない声"なんてものは有り得ないのだ。 だから呼ばれて振り向いたというよりは、勘違いだろうけど念のため振り向いた という表現の方が正しい。

けれど、声の主は確かにアタシの方を向いていた。
見知らぬ顔、見知らぬ格好。人間である。プラチナブロンドの髪に蒼い目。 頭には大きな黒いキャップをかぶっていて、そこに自慢げに描かれたドクロマークも、同じようにアタシ見ていた。

「あんた、アタシが見えるんだ?」
「はあ?」

その男は怪訝な顔をしてそう発し、何か言葉を続けようとしたがそれは彼の知り合いらしき人間達に阻まれる。

「キャプテンー、そんな所で何してるんだー?」

数人の男たちが、プラチナブロンドの男に歩み寄る。キャプテンと呼ばれたその男は重そうな黒い"海賊帽"と共に男たちに視線を向けた。

「今このお嬢ちゃんと話してたのよ」
「……? どこに子供なんているんですかい?」
「へ?」

マヌケな返事をした"キャプテン"は、目を丸くしてアタシを見た。

「だから言っただろ。"あんた、アタシが見えるんだ?"って。」




プラチナブロンドの遺書

Caribbean × Enlil (瘋癲ロマンチスト)



その日の晩。再びその男はやってきた。 普通は昼間の一件でアタシを幻や幽霊だとでも思いこの場所には近づかなくなると思うが、その男はやってきたのだ。

「あんたは何なんだ?」
「あんたこそ、何なのよ。普通の人間にはアタシは見えない筈だけど。」

そうは言ったものの、この男が何なのかアタシにはうっすらと分かっていた。この惑星の汚染を担う代わりにアタシ達"水のエネルギー生命体"と関わることを許された人間。 アタシ達の間では大地所有者と呼ばれる存在だ。

「オレはエンリル。海賊だ」
「ふうん、アタシはカリビアン。アタシの海で大地所有者が生まれたのは初めてだよ」
「大地、所有者?」

今まで何人も大地所有者は確認した。けれど人間に良いイメージの無かったアタシ達は進んで関わろうとはせず、所有者の相手はアトランティックとインディの役になっていたのだ。 というのも、アタシ達を見ることが出来る事以外はただの人間。それなら気にせず放っておけばいいのだけれど、この大地所有者というヤツには悲しい運命が待っている。

人間が及ぼした自然へのダメージをその体に受ける事。歳と共にそれは酷くなってゆき、最終的に死に至る。いわば、地球の生贄だ。 だから、せめてもの救いにとアトやインディが心のケアをする事に努めている。けれど死は防げない。ただの慰めってやつだ。

そんな悲しい運命を急に宣告するわけにもいかず、アタシはざっくりとエンリルに説明した。 エンリルは始めこそ半信半疑だったが、やがてしぶしぶと納得するように低いうなり声をもらし水平線を仰いだ。

「何かすげー事になっちまったなあ」
「まあ、せっかくの縁だし仲良くしようじゃないの!アタシの仲間も紹介するよ!」
「……そーだな」


その後、エンリルはアタシを海賊船へと招いた。キャプテンであるエンリルは自分専用の部屋を持っていて、壁にはたくさんの本が並べられている。 いつでも遊びに来いよ、と笑顔を浮かべた彼はアタシを頭をぐりぐりと撫でた。
何だかものすごく子供扱いされたようで少しカチンと来たけど、それよりも、初めて接触した人間というもの(しかもアタシの統括する海から生まれた大地所有者)が良い人間であることが誇らしかった。 そんでもって嬉しかった。

エンリルに別れを告げた後、アタシは一目散にアトの所へと向かいエンリルの話をした。アトは少し驚いたようだったけどにこやかに、よかったわねえ と言って笑った。


その日から、アタシとエンリルの関係は始まった。

エンリルが部屋の窓を開けて口笛を吹く、それが合図。
そのメロディを確認したアタシはゆらりと海面を滑りエンリルの船へと向かう。木製の窓をくぐり部屋へあがると、彼の大好きな紅茶の香りがする。 そうしてエンリルが眠りに就くまで、ぽつぽつと他愛もない話をするのだ。 剣の腕は誰にも負けない、21歳にして一海賊のキャプテンとなったのがその証拠だと自慢げに語るエンリル。 大好きな仲間たちの面白おかしいエピソード、そして人間では知り得ない深海の話をするアタシ。 ランプが放つ暖かいオレンジの光が作り出すアタシたちの影。 それはそれは幸せな時間だった。
エンリルが眠った事を確認したアタシは、ランプの灯を消して再び窓をくぐる。

あの人間ならば信じられる、そう思った。



けれど、そんなある日。


エンリルがぽろっとこぼした言葉に、アタシは。 酷く恐怖した。

「最近目がかすむんだよなあ」


そう、エンリルにも所有者としての悲しい運命が待ち受けていたのだ。
疲れてんのかな、と、大して重要視していないような態度のエンリルだが、ベッドの縁でアタシは足を震わせることしかできなかった。

その朝、アトにその事を相談した。するとアトは何かを悟ったようにアタシの頭を撫で、エンリルの所へ案内してと言った。
エンリルに事実を告げると。

何とか彼を苦しませずに進める方法はないかと問いだたしてみるものの、期待した答えは帰って来ない。覆せない運命だとただ目を瞑りうつむくばかりのアトランティック。 エンリルの為に、出来る限りの事がしたい。 みんなに話をした。けれど、メディも、ブラックも、バルチックも。答えは同じだった。 運命は全て決まっているもの。流されていくしかないのだと。

気落ちしたアタシは無意識のうちに、エンリルと初めて出会った浜辺に向かっていた。そうして、誰にも声をかけられる事なく、一晩中、バルチックのメッシュのような三日月を眺めていたのだった。


*


「エンリル…っ、エンリル大丈夫か!!?」

アトランティックがエンリルに運命を告げに言った日から何となく顔を合せづらかったアタシは、久々にエンリルの元へ向かった。 重い腰を上げさせたのはメディだ。 その時ふらふらと海上を散歩していたメディは、偶然エンリルの海賊船を発見した。船上ではエンリルのいる海賊と別の海賊が戦っている最中で、明らかに相手の海賊の方が優勢。 エンリルも必死に戦ってはいたが、結果は敗戦し多くの仲間を失った。
そして何より、彼の心を抉ったのが。

「エン…リル、それ……」


あたしの頭をぐりぐりと雑に撫でた左腕が、無かった。

「おう、久しぶりじゃねえかカリビアン…」
「…」
「この間、お前の仲間とかいう奴が来たぜ。お前とおんなじベージュの髪の女でよぉ」
「…」
「オレ、そのうち死ぬらしいじゃん」
「…」
「お前は知ってたのかよ、オレがいずれこうなる事」
「…」
「…答えろよ……。何とか言えよ!!」


エンリルは酷く怒っていた。 腕を奪った海賊にでもなく、惨酷な運命を告げたアトにでもなく。
全て知っていたくせに、ただ黙って逃げ、彼のピンチの時に駆け付けることもなくゆうゆうと過ごしていたアタシに。

「大地所有者ってのが何なのかお前に聞いた時、お前は何て言ったよ!!」
「…」
「普通の人間には見えねえお前らを見ることが出来るってだけで、他は何も変わらない人間だって言ったじゃねえか!なあ!!お前の説明には無かったぞ、惑星の汚染を引き受けて代わりに死ぬなんてのは!!!」
「…えんりる、」
「何でオレなんだよ、オレは海賊だ、海に生きる人間だ!!なんでオレが大地の汚染を肩代わりして死ななきゃいけねえんだ、死んでも構わねえ人間なんか他にもいるだろ!!何でオレなんだよお!!」
「エンリル、ごめん、ごめ…」
「ふざけんな!!」


怖い、と 思った。
他の奴が死ねばいいのに。そう言い放ったエンリルの目は酷く濁り、もうアタシの姿がちゃんと見えているのかさえ分からない。 けれど、濁った群青色の瞳には、確実にアタシへの恨みが込められていた。

「こんな思いするくらいなら、お前と出逢わなければよかった」

「何も知らずにいれば、ただの病気として、諦めがついた。なのに、どうして」

「選ばれて、死ぬなんて。」


「…エンリル、アタシは…アタシはエンリルに出会えてよかったと思ってるよ。」
「うるせえ、消えろ。」
「…………また……、お見舞いにくるよ。」

いつものように、窓をくぐる。海へ飛び込み、真っ白な頭を必死に動かしてアト達がいる場所へと向かう。 何か…何か忘れているような気がする。

ああ、そうか。
今日は ランプを消す必要がなかったからだ。

ごめんなエンリル。
あたしのせいだ。


浜辺に着くと、みんな驚いた様子でアタシを見た。 まるで別人かと思うほど、真っ青で表情の消え去ったアタシがいたんだそうだ。

「エンリル、大丈夫だった?」
「……」

メディのその言葉にアタシは 「だいじょぶじゃ、ない」とだらしなく答え、すべてを話し泣いた。 泣いたのなんていつぶりだろう。頬にぬるいものが伝って気持ちが悪い。 けれど、止めようがなかった。まるで自分の身を削るかのように、とめどなく塩辛い涙が砂に落ちてゆく。 このまま最後まで涙が出きったら、あたしは消えてしまうんじゃないかと思うほど。ぽろぽろと。

ごめんなエンリル。

「お前に落ち度はないと思うがな」

ブラックがそう呟いた。
その言葉にバルチックも深く頷き、アタシの元へと歩み寄る。

「カリビアンさんは出来る限りの事をしたと思います。エンリルさんには…運命を受け入れるだけの強さが無かったのです。 けれど、それも罪ではない。人間はひどく繊細で弱いから。」
「でも、エンリル…あたしになんて出会わなきゃよかったって、言った」
「人間はね、自分の心を守る為に本音ではない事を言ったりするものなんですよ。」
「ほんと…?」
「ええ、落ち着いたらもう一度エンリルさんに逢いに行きましょう。きっと元の優しい彼に戻っているはずです。」

バルチックの優しい言葉に、アタシはまた泣くばかりだった。
けれど、けれども。

翌朝、私の目に映ったのは。

(ちがう、)

首を吊っている

(これは、エンリルじゃない)

青年の姿だった。

(エンリルなはずない)


―― うるせえ、消えろ ――

それが、エンリルがアタシに放った最後の言葉だった。いや、彼自身の最期の言葉だったかもしれない。 アタシと共に部屋へ入ったアトとバルチックも、酷く驚いた様子だった。

「どうして……」
「…エンリルは、運命に抗ったんだ」

そう。これはエンリルの最後の抵抗だったのだ。

運命に殺されるくらいなら、いっそ自分で死んでやる。 病死という運命を、自殺という形で覆したのだ。
けれど、

「……カリビアンさん、これ」

バルチックが机の上に置かれた紙に気付く。 人間は自ら命を絶つ際、残された者へメッセージを残す事があるのだと聞いた。

そこには、ただひたすらに。
アタシへの憎しみが綴られていた。

彼は最後まで、アタシを恨んで死んだのだ。 アトランティックは酷く憤怒し、もう帰ろうと私の手を引っ張った。

けれど、


「アタシは、エンリルと出逢えて幸せだったよ。」
「だって嬉しかったもん。初めてアタシの海から大地所有者が生まれて。」
「しょうがないよ、人間って、弱いんでしょ?」
「エンリルは悪くない」

音のない部屋にアタシの声だけが響く。
アトが涙をぬぐったような気がした。

「ごめんな、エンリル。」

そうだ、あの時、何か忘れていると思ったのは。
エンリルへの謝罪だ。
苦しんでいるエンリルに何もしてやれなかった事への謝罪だ。

「アタシ、あんたの事ずっと忘れないからさ。」
「だから、この帽子もらってくな。」


*


それからずっと、この海賊キャップがアタシのトレードマーク。
最後までアタシを恨んで死んでいった男の形見。

人間は脆く、汚く、そして弱い。それはもう仕方ない、人間ってそういうものなのだ。 だから人間じゃないアタシが受け入れる。 そう思うしかなかった。

「―――― 大変だったらしいな、カリビアン。」
「ああ、ベーリング」
「もう具合いいのかよ。」
「うん。」
「どう?もう人間なんて絶ッッッ対信じないぞ って思ったろ?」
「全然?」
「えっ?!!?!?!」
「だって今回のはアタシの落ち度だもん。ブラックとバルチックはアタシは悪くないって言ってくれたけどさ。」
「聖人かよ…意外と器おおきいのな…。じゃあ何?次また所有者が力貸してっつったら協力する訳?」
「もちろん!」

呆れたようにアタシを見るベーリングを尻目に、アタシはいつかのエンリルの様に水平線を仰いだ。

「……でも」
「でも?」

「少し苦しいから、もうアタシから手を出す事は、しない。」

そう言って深呼吸したアタシを、ベーリングは何か言いたげに見つめている。

今日も空は青かった。


*

2014/10/18. プラチナブロンドの遺書

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